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タイロッケンコートとラップコートの違い

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

日に日に日差しが暖かくなり、春の陽気となってきました

そろそろ、カシミアのチェスターコートを脱いでスプリングコートの出番です

 

そこで、今回はスプリングコートとしても使えるタイロッケンコートについて書いてみたいと思います

 

 

言葉は生き物であるから、時と所によっては解釈や意味の違ってくる場合も少なくありません

 

ところで近年”タイロッケン(Tielocken)”という服飾用語が本来の姿と基本的に違って受け取られているのはご存知でしょうか?

 

本来、”タイロッケン・コート”とは英国のバーバーリー社が開発したベルト締めのダブルのコートのことですが、特徴はボタンをつけずに前2箇所、後ろ一箇所にバックルを設けて帯をくぐすように仕立ててあります

 

なお、フル・ベルトでありながら、ハーフ・ベルトのように左右が身頃に固定してあるのも、もう一つの特徴と言えます

 

 

しかしながら、Google検索などで”タイロッケン”を検索してみると”ラップコート(Wrap Coat)”が引っかかります

 

”タイロッケンコート”も”ラップコート”もダブルでボタンがなくベルトで処理しているとはいうものの、処理の仕方が両者でまったく違います

 

つまり、ラップコートはタイベルトというバックルなどの留め具を使わずに、結んで使用するタイプのベルトで締めるのを一大特色としているからです

 

さらに両者の間には、使用される生地に違いのあることも確かで、タイロッケンはサラッとしたもの(例えばギャバジン)、ラップコートにはふわっとしたコート地(例えばキャメル)が用いられます

 

色彩的にも、前者はベージュやブルー、後者はキャメル・タンやグレーが代表色である点も見落とせません

 

結論を言うと、”ラップ・コート”を”タイロッケン”と称しているのは、どうやら日本式っぽく、英語で検索してみると案外ハッキリと分かれているのに気が付くと思います

 

私自身、ネットだけでなく海外のメンズウェア誌を注意して見ても、あの手のコートは”タイロッケン”とは言わず、ラップコートと書いてありました

 

両者の違いに疑問を持っていた方の参考になれば良いなと思い書いてみました

 

タイロッケンコート(Tielocken Coat)

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 ラップコート(Wrap Coat)

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参考画像- Google画像検索より

 

浜松市のテーラー新屋は、タイロッケンもラップコートもしっかり区別してお仕立てします

 

 

 


ダブルブレステッドの歴史

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

昨年からダブルのスーツが流行の兆しを見せていますね

 

ダブルのスーツというと、年配の方にはバブル時代のアルマーニを代表とするゆったりとしたスタイルの印象を受けると思いますが、今回の流行はどちらかと言えば、英国調のタイトでありつつもドレープ感のあるスーツを多く見受けられます

 

 

そこで、今回はダブルブレステッドスーツの歴史なんかを書いてみたいと思います

 

ダブルブレステッド…あらためて断るまでもなく、衣服の両合わせを二重にし、ボタンを縦二列に並べてつけた型式を、英語ではダブルブレステッド、日本のテーラーでは昔から「両前」と呼んでいます

 

「両前」はもちろん英語のダブルブレステッドの訳ですが、本来は名前の通り、衣服の上前・下前にいずれにもボタンホールが開けられて、風向きなどによって左右どちらにも合わせられる仕組みになっていました

 

そもそも、「ダブルブレステッド」という英語が文献類に見られだしたのは、『ニューカレッジ英英辞典』によれば、1701年ごろのこととされています

 

ということは18世紀のはじめには、すでに存在していたということになります

 

事実、これより30年近く前、1674年ごろ、ダブルブレステッドの原型ともいうべきものが見られたという記録もあるようで

 

 

「ブランデンバーグ」という軍人用の防寒外套がそれで、今日のダッフルコートのように、一種のループ状の飾り紐を用いて、これを下前のボタンに引っ掛けて留める形式のものです

 

いずれにせよ、当初のダブルブレステッドは主に軍人用や乗馬用、もしくは旅行用のオーバーコートのたぐいに採用されていたようです

 

 

これが紳士服の上着やベストのたぐいに採用されるようになったのは、後の1730年代に至ってのことであり、さらにそれらが一般化を見るようになったのは、1780年代からのことのようです…もっとも、上着といっても、当時のそれらは燕尾服のような形が中心で、スーツのような上着はまだ登場していませんでした

 

 

背広型の上着、つまりラウンジジャケットに両前のスタイルが見られるようになったのは、19世紀も半ばを過ぎた1862年ころからとされています

 

最初のダブルブレステッド・ジャケットは、6個ないし8個のボタンを縦に平行して付けたものになっていて、留める側のボタンは残らず掛けて着用されました

 

このタイプの上着を当時はリーファーとかピー・ジャケットと呼んでいたようです

 

リーファースタイルは以後19世紀の末まで流行し、新しい世紀の訪れとともにしだいに廃れていきました

 

 

代わって1903年頃、新しいタイプのダブルブレステッドが現れました

 

4つボタン2つ掛け、ないし6つボタン2つ掛けというのがそれであり、この両者はいうまでもなく、今日の両前上着の基本型となったものであります

 

ついで、1910年ころには、なんと2つボタンの両前方まで現れました

 

 

ダブルブレステッドのタキシードは1921-1922年ころのことらしく、スペインの国王、アルフォンソ13世がフランスの保養地ドーヴィルで着たのがそもそもの始まりで、イギリスでもまもなく当時のファッションリーダーの一人であったコメディアン兼ミュージカル俳優でもあったジャック・ブキャナンという人物が、ダブル型のタキシードの流行に先鞭をつけ、1925年ころから注目を集めだしました

 

 

その後、1930年の半ばにロングターン・ダブルブレステッドが登場し、1990年代バブルのときにはアルマーニ、そして今回の流行へと繋がっていきます

 

以上、長々とダブルブレステッドのことを書いてみました

 

歴史を知るともっとスタイルのことに興味を持つかもっ!?

 

 

静岡県のテーラー新屋は、ダブルブレステッドスーツもお仕立ていたします

 

 

 


ボーラーハットのコーディネート

静岡県のテーラー新屋のダイスケです

 

先日お客様が、ご自身の結婚式で使用されるボーラーハットを英国のジェームスロックから取り寄せたと見せてもらえる機会がありました

 

その際に、帽子の色について質問があったので、今回はボーラーハットについて書いてみたいと思います

 

 

山高帽は、ボーラー(英国)やダービー(米国)と呼ばれ、黒色が普通とされていますが、まれにブラウンやグレーのものもあります

では、黒とその他の色と、どのようにかぶり分けるかについて書いてみます

 

 

英語の表現に”From Hat to Shoes”(帽子から靴まで)というのがあるように、「上」と「下」とでバランスやハーモニーをとるのが普通です

 

したがって黒のボーラーをかぶったなら靴も黒が好ましく、茶の靴をはいてボーラーをかぶりたければ”ブラウン・ダービー”であるほうがよく、ミディアム・グレーのスーツを着た場合のボーラーはグレーまたは黒で、靴はグレー(ただし、スエード)か黒とされています

 

なお、茶系統のスーツに黒のボーラーをかぶって黒靴をはき、クリームのシャツに黒地に茶色のストライプがハッキリあらわれたタイをしめ、黒い手袋をして、黒の傘で握りが茶系というイデタチの写真を40年以上前の英国の服飾雑誌で見たことがありますが、それはとてもスマートだったです

 

 

まぁ、あまり規則に縛られることなく自由にファッションを楽しむべきだと思いますが、基本を知っていると楽しみ方にも幅が広がると思います

 

 

静岡県のテーラー新屋は、ボーラーを中々かぶる機会は少ないと思いますので、ソフトハットに当てはめて考えると良いと思います

 

 

 


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